病院は疲れる。
検査検査。私とこどもと。
今回は私より子どもの検査結果が悪かった。心が一気に重くなる。
こどもの就学を控えて、こどものための支援センターを医師に紹介された。
就学にあたって、想定できる不自由をサポートしてもらうために学校と話し合ってくれるらしい。
障がいと呼ばれない軽度な不自由は、なかなか理解されなくて社会から取り残されてしまう。軽度な不自由が積もり積もって社会的にとっても不自由なワタシとこども。
知識のない人間は想像力が乏しい。
そして想像力の無い人間は残酷だ。
私は社会だけでなく家族からも不自由を理解されることなく、不自由の原因は私の落ち度と強く非難され追い詰められながら大人になってしまった。そのように育てられた私はダメな自分を責めながら生きていたし、そこから自由になるのにとても時間がかかった。
おかげで性格もだいぶナナメに歪んでいるし、誰も信じたくないし、知った顔して無神経に同情されても私の心の中に入れたくもない。
分厚い氷の壁に閉じこもりたいワタシ。
ちなみに『世の中にはもっと困ってる人がいる』とか、そういう言い方する人も嫌い。
他人の人生を生きることはできないのだから誰かと自分を比べることに意味はない。
ただ、こどもが小学校でそれなりに困ることは目に見えている。
だから私が学校に状況を説明してこどもが辛い思いを我慢しないように配慮しなければいけない。どういうことで困るのか、どんな問題が起こりやすいのか、私は自分でも経験しているから想像つくのよ。
幸いなことに学校の先生は親切で、保健や養護学級の先生は優しくて、今の校長先生は小さいこどもと遊ぶのが大好き。
相談すればたぶん真摯になって聞いてくれるだろうし対応してくれるだろうと思うのだけど、私が自分の経験をもとに我が子が困るであろう様々な問題を話すと、私自身から血が噴き出てしまう。子どもを通して、私は自分が子どもの頃につらかったことを再び体験しなければならない。フタをしていて鍵かけて外に出すことのなかった感情が私に襲い掛かるのよ。恨みも怒りも悲しみも、醜いカサブタになってはとれて血がでて一生治ることなし。血まみれな私。いやだいやだ、私は何も思い出さないぞ。
なので、支援センターの方が私の代わりに学校へ出向いて、プロの立場から客観的に不自由をもつこどもへの配慮について対策を練ってくれるのはありがたい。泣きながらすがりつきます。感謝感謝、平身低頭、よろしくお願いしますだ。
そして小学校でのサポートを考えるにあたって、まずは保育園での様子もみていろいろ考えてくださるのだという。ぜひお願いしますだ。
私の頃にもそんなサポートが受けられたら良かった。(/ω\)
涙拭いて、鼻水とかティッシュでかんで丸めながらそんなことを思いました。
しあわせの核
力なく家に帰って来て、泣き崩れたいくらいの私なのだけど、泣いたって何か変わるわけでもなし、黙って仕事をするのですね。
ハンドメイド作家ですから黙々と何も考えずにミシンを踏むのですね。
何も考えなくてすむ時間がありがたや。仕事に救われる今日の私。
下向いてると涙が落ちちゃうけど、仕方がないのね。
オーダーきちんとやってますだよ、ただ今日は愚痴が多いので製作の報告しないけど勘弁してほしいですだ。
可愛い花柄、ヒラヒラの袖、フリフリのギャザー、かわいいねって泣きながらニッコリ。私、仕事で癒されますだ。嬉しいオーダーをいただいてありがとう。
(/ω\)
アタシ、女の子も欲しかったのよな(怒)
いえいえなんでもないですだ。
かつて私はこどもの呼吸が止まって救急車を呼んだ時に気づいたんですよ
よく考えたら私は家族がそばで笑っていてくれればしあわせなのよ、と。
家族の笑顔の代わりになるモノなんて存在しないですだ。それなら他に何もいらないじゃん。
( ゚Д゚)もちろんカネは別ぞな
(/・ω・)/
泣いて目を腫らそうが血が心から吹きだそうが私は今たぶん自分史上最高に幸せで、私の幸せの核になっているのは紛れもなく夫と子ども。
世界で一番可愛いと言いながら育てた我が子は自分が世界で一番可愛いのだと本気で信じていて、親バカの私から見ても相当ウザいけど本当に世界で一番可愛いに違いない。
自分のこどもに「あなたが世界で一番大好き」と言えなくて泣いているお母さんを笑顔にしたいと野心を持ちつつ、私は今日も一所懸命働いて泣いて笑って生きていくのだ。
またね