ただいま思案中。

ハンドメイド作家がネットをさまよっています。

小鹿田焼(おんたやき)の茶碗を買いまして。

 

 

皆さんは「小鹿田焼」なる器をご存知でしょうか。
「おんたやき」と読むそうです。

私の住んでいるような田舎までは、なかなか流通しない焼き物なので聞きなれない。
そして、私は焼き物に全く詳しくない。
そんなこんなで、この歳まで存在すら知りませんでした。

しかしネットの恩恵というのはすごいですね。

ある日、私はネットで一目惚れをしてしまって
探しに探して、
悩みに悩んで、
この夏やっと手に入れたのが、この飯椀です。

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普段使いの漆の汁椀や箸とならべて、我が家の和食卓に。
特別でも贅沢でもない、ありふれた静かな日々を過ごしていくのにピッタリな器だと思ったのです。

そしてある日
この飯椀を持ち上げて、ふと「職人さんの手」を感じたような錯覚を覚えて、今までにない新鮮な驚きを覚えました。

今日は日々の器「小鹿田焼」についてご紹介します。
どうぞ、お付き合いください。

 小鹿田焼(おんたやき)の茶碗を買いまして。

小鹿田焼(おんたやき)

大分県日田市の山あい、皿山を中心とする小鹿田地区で焼かれる陶器である。その陶芸技法が1995年(平成7年)に国の重要無形文化財に指定され、2008年3月には地区全体(約14ヘクタール)が「小鹿田焼の里」の名称で重要文化的景観として選定されている。

小鹿田焼 - Wikipedia

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上の二つの茶碗、ちょっと小さめサイズは小食の私と下のこども用。
下の大きめの飯椀は夫と食べ盛りのこども用。

普段の白いご飯も、お赤飯も、季節の炊き込みご飯にも、ちゃんと良く似合いそう。

ザラリとした手触りのこの飯椀は
何でもない毎日の和食卓にすんなりと溶け込んでしまいました。

 

◆飛び鉋

小鹿田焼の模様「飛び鉋(カンナ)」。
柔軟性のある金属製の薄いヘラで付ける削り文様が小鹿田焼の特徴のひとつだとか。

小さめの飯椀は内側に模様は入っていないのですが、大きめの飯椀は、お椀の内側にも模様がほどこされています。

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私はこれを「綺麗だな」って思ったんですが、夫が「箸の先が削れそう」と言いました。

(/ω\)確かに大根が卸せそうな雰囲気を醸しています
※おろせません

シンプル過ぎない、でも飾りすぎない。
しっとりとしていてさり気ない。

まるで長年使っているかのように、食卓の風景に馴染んでしまう小鹿田焼
漆の器やガラスの器、今まで使ってきた慎ましく平凡な和食器とも穏やかに調和するのがいい。

◆土を感じる 衝撃

この器は若干重めですね。

最近は薄くて軽い飯椀を使っていたためか、小鹿田焼の飯椀が思いもよらず重く感じたので驚きました。

土の種類が違うのかな。
製法が違うのかな。
それとも窯元によって違うのでしょうか。

このしっかりとした重みが、器が土から作られたことを
私にありありと感じさせてくれるのです。

すごい。
本当に器って土からできてるんだな。

今まで作家ものの器も使ったことはありますが
器に触って、土と、職人の手を感じたのは初めての経験です。

 

◆電子レンジが使えて嬉しい

この手の土ものは、たいていレンジと相性が良くない。

実際、小鹿田焼を扱うお店によって、電子レンジ可だったり絶対不可の表記があったりします。

しかし電子レンジに入れられない飯椀は、私の生活では使い物にならない。

色々なお店を調べましたが、とあるお店では
「レンジでの調理には向かないが、温める程度であれば可能」とありました。

(/ω\)嬉しい。

実際にレンジに入れて温めて使っていますが(60度程度)、特に問題はありません。
※器によってはすぐ割れてしまうこともあるようです。

 

◆つまるところ、作る人の作業というのは「地味」の連続だと思う

小鹿田焼の飯椀は、穏やかで優しい食卓を作ってくれる。
そして細やかな手作業を想像させる飛び鉋は
「手で作る仕事」の面白さや美しさを、毎日私に考えさせるのです。

陶芸に限らず、作る人は皆コツコツ、地味な作業を毎日繰り返すもの。

その作業の向こう側に何があるのか、何もないのか。
それはコツコツと積み上げた人にしかわからない。

 

ツイッターでつながる作家さんたちも、みんな、イヤダイヤダ・面倒クサイと言いながら、気の遠くなる作業をコツコツとひたすら積み上げていく。

繊細な刺繍も、美しい彫刻も、手を抜くことなく鮮やかに細やかに。
大好きな仕事だから、一旦作業に入ってしまえば夢中になる。(はず)

 

そして私はご飯を食べながら、今日も「作る」を考える。
さて
私の作るものは誰かを幸せにしているだろうか。

本日は以上でーす。