ただいま思案中。

ハンドメイド作家がネットをさまよっています。

編み物という凶暴な幸せ

 

 

もしもし、こちらシアンです。ハンドメイド屋です。こんにちわ

 

寒くなってくると毎年のように出してくる手芸用具。

編み棒と毛糸。

手が規格外にデカい夫は、ちょうどいい手袋が売っていないので私が編みます。
手編みの手袋は細かいケーブル網を2重3重に編み込みます。

正直、お店で普通に購入するよりカッコイイと思う。

 

しかし、夫はすぐにボロボロにする。(/ω\)ヒドイ。
両手で10本の指を必死で編む私の努力もボロボロだ。

こうなると私の愛情もボロボロ。

 

しかし編み物は凶暴だ。

なぜこんなに編みたいのか。
編んで誰かに使って欲しいだけなのか。

いやいや、本当に手作りの中で編み物は何よりも最強で凶暴だ。今日はその辺を話してみたい。

しかし、ここで画像を用意しないと「コイツやっぱり何も作れないんだぜー」とか、またアチコチで囁かれるので、本日は私の手編みもご覧いただこう。

 

編み物という凶暴な幸せ

夫の手袋はさすがに夫が使用中なので、今日お見せするのは小さかった息子に編んだ帽子と手袋だ。ケイタイで撮った画像がひどくてごめんなさい。

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左が1歳、右が2歳の頃に使った。

夫の手袋を編んだ後に余っていた毛糸で編んでいて、こどもの面倒を見ながら編んだので、夫の手袋のような凝ったケーブル編みはできなかった。

でも幼児用の手袋って、小さくてカワイイ。

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もっと凝ったケーブル編みがしたい私にとっては、これは手抜きレベル。
でも我が子がコレを身に着けて遊んでいるのを見るのは嬉しかった。

 

私は左腕に骨の異常があって、編み物をすると腕が動かなくなる。
感覚がなくなった左手を必死で動かしながら編んだのが下の画像の帽子と手袋。これも余った毛糸だけで計算して編んだ。

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手作りというものは、上手に作れば作るほど「手作り」に見えないという不思議。

私の編み物も所詮趣味レベルだが、編み物の先生をされている年配の女性から「これ、あなたの手作りね」と言われるまで誰にも気づかれなかった。

自分から「手作りです」と自慢するほどのレベルでもないので、編み物は私の自己満足の世界だ。ヘタクソと言われたら、まぁ、そうだろうな、程度。

でも「シアンの作ったモノをみたい」という変わった方も多いので、今日は恥をさらしてみるよ。

 

帽子で2日、手袋で3日くらいかかったかな。

何年か作り続けて、しみじみと思うけど

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ちょっとずつ、手袋が大きくなっているのが可愛いし、さみしい。

 

 

編み物をしているときの幸せな感覚は、麻薬のように常習性があると思う。どういうわけか、毎年編みたくなる理由はその辺にあると思う。

編み物は「上手・下手」ではなくて、編んでいる時間そのものが幸せでやめられなくなるのだ。

編み物ってさ、編み上げるまでにとっても時間がかかるから、執念(?)がないとなかなか最後まで編み上げることができない。

で、その編んだ時間の分だけ、編んだ本人も幸せなのだ。

 

そして編んだら大好きな人に身に着けて欲しい。←ここが猛烈に凶暴。

 

(/ω\)女は必ず強制する。男に拒否権は無い。たとえどんなにダサくても

 

 

もはや私にとって編み物とは最強で凶暴な幸せとしか言いようがない。

 

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