ただいま思案中。

ハンドメイド作家がネットをさまよっています。

今日ある幸せと苦しみ

 

 

数年前、伯母が突然倒れ意識が戻らないまま1か月後に亡くなった。

伯母の家には、生まれついて脳に障害を持ったアタシのいとこがいる。

グループホームで独り立ちしたばっかりだった。

 

そのときから私は

今日があって明日がある幸せを感謝している。

当たり前のように今日眠りについて、明日起きる幸せを

当たり前の毎日を

 

心から感謝している。

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1年前、こどもの友人の父親が急死した。

一番下のこどもは0歳だった。

妻と3人のこども達、同居している父を残して逝ってしまった。

 

よくあることだと思うか

死は我々のすぐ手に届くところにある。

 

しばらく前に、実家の近所の男性が事故に遭った。

自分の車の後ろに立ってトランクを開けていたら、後ろから走行車に突っ込まれたそうだ。

死を覚悟し、長時間の手術の末に一命をとりとめた。

車いすの生活が始まった。

意識はあるが体は力が入らずにぐにゃぐにゃと曲がる。

今までの日常のすべてを失って、ベルトで固定されて生きていく。

若い頃に幼い娘を病気で亡くし哀しみ、もう一人の娘が独り立ちをした直後だった。

妻と老後を楽しむ話をしていた直後だった。

 

そして

今日、事故の話を聞いた。

 

知人が少し前に事故に遭ったそうだ。

私も少しだけ面識のある人だ。

 

仕事中に事故に遭ったらしい。

背骨、首の骨を何か所も骨折して

荷物に潰されたそうだ。

助け出されたときにはすでに

心肺が停止していたそうだ。

 

医師が意識はもう戻らないと言ったそうだ

 

ずっと動かないまま生きていく

死ぬまでベッドで生きていく

幼い子と妻が寄り添って

 

 

死はすぐそばにある。

生があるならまだいいのか、

障害が残っても意識が戻ればいいのか

 

それぞれの重い苦しみを比べてはいけない

他人が軽々しく比べて何の意味があるというのか

 

 

それでも妻は生きていかねばならないのだから