我が家では上の子も下の子も新入学を迎え、少し忙しく心もせわしない春です。
皆さんこんにちわ。
春は背中を押されて足早になる。ちょっとボンヤリしているうちに梅の花が咲きだしました。
昨年たくさん実をつけてしまい今年の花はちょっと少ないですけど、夏にはこどもの喜ぶ梅ジュースが作れそうです。
暖かな日は縁側でボンヤリ、コーヒーを飲みながらこどもが陽だまりの庭に穴を掘るのを眺めています。(/ω\)こどもはなぜ穴を掘るのか。
田舎の庭ですから、春にはフキノトウが出るし、ツクシやスギナも生えてきます。
タンポポの葉は軽くゆでてサラダにしましょう。ツクシはハカマをとってバター醤油炒めに。フキノトウは天ぷらとフキ味噌になります。写真を撮ろうと思ったらフキノトウは全部食べつくしていました。(/ω\)うまし
スギナは干してお茶にするといいらしいけど、我が家は誰も飲まないのね。お風呂に入れて薬湯にする人もいるそうですがお湯が黒っぽくなるそうです。初夏には白くて可憐なドクダミが咲きます。放っておくと殖えるので、適度に間引かなければいけません。
茂ったフキを煮込んだり、どこからか飛んできたタネで勝手に育ったシソを料理に使ったり。
我が家の庭はバラも咲きますが、野草と香草も多い庭です。
ラベンダー、セージ、カモミール。芝生の代わりにクローバーとクリーピングタイムを植えています。
春は子どもがシロツメクサの花で花の冠を作ってかぶり、まるで緑の妖精のよう。
あなたはハーブはお好きですか?
私はハーブが好きですが、子どもの頃に駆け回った野原も草原も好きです。
野いちごを摘み、草笛が吹けずに草にかぶれて口を腫らし、味噌屋の大きな樽の中でかくれんぼをしました。秋は近所の大きな男の子が木に登り、枝をゆすって毬栗やクルミを落とすのを皆で拾い集め、冬はそりをして、遊びます。
今日は私の記憶と絡み合い、交差する、美しい一冊の本をご紹介します。
心を癒す、とある薬草店の四季物語
著者の女性は、私が生まれ育った場所にほど近い長野県の蓼科というところに住んでいます。
蓼科の白い冬は、水も空気も凍ります。
ダイヤモンドダストというものをご覧になったことはありますか? 空中の水蒸気も凍り、キラキラと輝くの。綺麗ですが痛みを感じるほど冷たい、冬の空気の結晶です。
ここは避暑地ですから、大自然と田舎に憧れて引越してくる都会の方も多いです。しかし一冬越すと甘い夢から醒めて、まるで自然から逃げるようにどこかへ帰り二度と戻ってこない人も多い。それほど厳しい冬が訪れる地です。
彼女はここでハーバルノートというハーブショップを営んでいます。
薬草のお店です。
とても有名なお店、とても有名な人なのに、お店に気づかずに目の前を車で思わず通り過ぎてしまうほどのハーブショップです。私も一度車で通り過ぎて、店で働いていた知人が慌てて店を飛び出し、手を振りながら車を追いかけてきたことがあります。
彼女の語る四季と香りの話は、緑の香りを色濃く漂わせながら、私の記憶を揺さぶりました。
野の草の話、諏訪日赤の話、中央病院の話、今は話す人も少なくなった今井先生の話。
そして、美しく冷たく凍り付く白い冬の話。
通常、ガーデナーやハーバリストが書く、花や植物についての散文は「浮きたつような春」から始まることが多いですが、彼女の本は冬から静かに始まります。
彼女が美しいと言った、真っ白な八ヶ岳を夕日がばら色に染める景色は、私の生まれ育った冬の景色でもあります。
本と私。記憶と景色が重なり、絡み合い、ページをめくるたびに私の記憶の糸がほどけていくようです。私はそのほどけた糸を手繰り寄せながらまた、ページをめくるのです。
緑の指を持つハーバリストは、生まれたときから緑の指を持っているわけではありません。たぶん、野草に触れる時間を通して その指を緑色に少しずつ染めていくのではないかと思います。彼女もそうやって手を緑色に染めてきたのでしょう。
彼女の手は厳しい冬をすごし、夏は強い日差しを浴びながら今も香りとともに。
この本は、香りと暮らしの話を中心に構成されています。
花の匂い、草の匂い、土、空気、そして死の扉。
死を見つめ、生を見つめ、痛みや悲しみを癒す香りとともに暮らしているようです。
指を緑にそめながらハーブを育てている全ての方に、この本をお薦めします。
さぁ、外に出て土と草に触りましょう。
もう、お洒落で華やかなだけの虚飾のガーデン誌はあなたにはいらない。
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