突然ですが
作品に関して「ゆがんでいるところがアジ」とかっていうのは、
歪んでいない正確な作品を当たり前に作れる人が、わざとゆがませて遊ぶから味なんであって、歪んだものしか作れない人のゆがみには「味」とは言わないと思うんですよ。それは技術不足の結果であり、経験不足の結果であり、決して味ではないんですよ。
もしくは数人の作家さんが同じイメージから服を作ったとして、それぞれの個性や技術から導き出された結果、出来上がった服の印象が違って見えるのもアジなのかもしれません。かごやバスケットも作り手によってずいぶん印象が違います。
えーっと、少しずれたけど、
私が言いたいのは「ゆがんだところも味だね」ってのは一定レベル以上の技術でモノを作る人の「遊びの部分」を見る側が察して言うものだと思うのです。(もちろんいろいろな解釈があると思いますが)
しかし苦手な人が一所懸命に何かを作り上げた努力を「褒めてあげたい」というのもまた人情。その人が夫の兄弟の嫁という面倒な間柄ならなおさら、当たり障りなく褒めるのが嫁の仕事というもの。
「頑張ったね、上手にできてると思うよ」と、コチラは努力を褒めます。
褒めると相手は「でもヘタクソだから、ここが曲がっちゃった」と言う。
すごく曲がってるの (/ω\)これ以上褒めようがない。
ここで「あ~初めてだからねぇ、でも曲がってるのもアジだから」と言わざるを得ない状況になるのです。「アジ」と言う言葉は便利ですね。
後から心の中で、自分にツッコむのです。
ベビースタイにアジもクソもあるかよ。と。
曲がってもアジ
赤ちゃんに「アジ」は関係ありません。ベビースタイなんて誰に見せるわけでもないので、曲がったって使えればいいのです。下手だってなんだって、最後まで頑張って作り上げたのだからスゴイのです。使えればいいのです。
なのに作った本人は「下手だから、歪んじゃって、コレが精いっぱい、でもシアンさんはベビーエプロンとかも上手だし、、、フリルとかが可愛くて、、、」とかグズグズ言い始めます。
皆さん
この女は暗に
私に「作って」と言っていますよ。(/ω\)アカーン
しかも彼女が私に暗に要求しているのはベビースタイではなく、フリルのついた華麗なベビーエプロンのようです。
ここで敏感な人なら話の流れを汲んで「作ってあげようか」とか言うのです。彼女は自分で頼むのではなく、人に「作ってあげる」と言わざるを得ないように仕向けるのが上手。暗にプレッシャーをかけて向こうから「作ってあげる」と言わせるエキスパートです。その挙句に作ってもらったとたん手のひらを返します。(経験者は語る)
要するに厚かましいのよ。
(/ω\)はやく頭下げて「作ってください」って言いなさいよ(激怒)
私は鈍いふりをしてそれに気が付かないふりをするようにしています。
「ヘタクソなカンジに仕上げたほうが手作りっぽいし、曲がってもアジだからね。私はこういう手作り感たっぷりのスタイは作れないわぁ~」と褒めるのです。
(/ω\)私は褒めてるのよ?
こういう類の女はしつこい。欲しいモノが手に入るまで続けるのです。「シアンさんの作るベビー服もとても可愛いし、私あんなに上手に作れる人見たことないの。布はあるんだけどさぁ、でもシアンさん忙しいんだよねぇ、」と、作り笑いまでしてお世辞を言いだします。
粘る女なのよ。(/ω\)私、お世辞とか本当に不快ですから。
※こういう類の厚かましい人は一度OKすると次々に作らせようとするのです。絶対に引き受けてはいけません。経験者談
素直に「作ってください、お願いします」と言えばいいんです。もしくは「作り方を教えてください」と言って自分で努力すればいいんです。
私が気に入らないのは彼女が「私が作ってあげようか」と私に言わせようと会話を仕向けてくるのが気に入らないの。
その粘り強さをなぜ自分が努力する方面で発揮できないのか不思議。
おっと、話がそれました。
「曲がってるところもアジがあっていいわねぇ」
アジって便利な言葉ですね。褒めてる感じも醸すので、うわべだけの薄っぺらい会話にピッタリです。私はすっかり面の皮が厚くなりました。
前置きが長くなりました。
皆さんこんにちわ
こちら面の皮が厚くなったハンドメイド作家のシアンです。
またねー(終わりかーい)