ただいま思案中。

ハンドメイド作家がネットをさまよっています。

ハンドメイドのその先をまた考えている シアンのハンドメイド販売

 

 

シアンです。

ハンドメイド屋をしております。

私はアチコチのハンドメイド作家やコンサルに噛みついておりますので、どちらかと言えば

 

嫌われ者のタグがついているかと ( ̄▽ ̄)

 

(/ω\)いいのよ、気にしてないわ。むしろオイシイ。

 

本日は、昨日のブログの内容を細かく話します。 

 

私がブログで言うところの「ハンドメイド」とは仕事とか販売する商品のことを指して使っています。このブログは「ハンドメイド販売」のアレコレを書くブログだし。

しかし

本来のハンドメイド=手作りって、そんな意味ではないよ、という気もします。

もっと温かいイメージもあります。

 

「ハンドメイド」についての細かい定義は私もわかりません。

プロ(コンサルとか)に誰か訊いてみてください。

私は嫌われておりますので訊けません。(/ω\)失礼なことを書きすぎたから

 

私が10年後に残っていないと思っている理由を書いてみます。

 

私はお子様用品(入園グッズとか)を作っているワケですが

なんだかんだブログで黒いことを言いつつも

お子様が笑顔でいっぱいになって、お母様がお子様の笑顔で嬉しくなって

という商品を作ることを心がけているワケで

お子様用品ですから、2~3年も使えばサイズが小さくなったり不要になったりボロボロになる。

なので数年でゴミになります。

 

消費されてなくなる。私が作っているモノはそういうモノなんです。

そして私も飽きられて、ポイ。

それでいいや。

 

では昨日書いたブログで「生き残っている人」と勝手に書いた人たちはどうなんだ、ということなんですが

以下は私の頭で考えた薄い内容です。

 

伝統工芸は歴史です。歴史の積み重ねです。

伝統工芸とかっていうのは歴史の積み重ねなんです。

100年とか経ったら「骨董」になるかもしれません。

伝統と技術っていうのはスゴイですね。

私の入園グッズはどう頑張っても「骨董」になりません。

 

デザイナー(パタンナー含)は流行の先駆者です。

大雑把に説明しますと

消費され続けるファッションでも、先駆者と追随者というものがあります。

先駆者がまず流行を決めます。追随者(発信者つまり雑誌や業界)が流行を広めます。そして最後にそれに飛びつくのが私達大衆です。大衆が飛びつくと「流行している」状態になります。流行が消費され始める頃、先駆者は次の流行を作り出しています。

私を含め、多くのハンドメイド作家やハンドメイドコンサルは流行に飛びついて消費している「大衆」だと勝手に思っております。流行を決める立場にはなり得ないので、花開いたかと思った瞬間、流行に左右されて儚く消えてしまうのです。

 

アーティストは時代の表現者だと思っています。

少なくとも時代を体現化する作品を作られている方が多い。

それで食べていけるかどうかはわからないけれど

時代を超えて残っていく「作品」を生涯作り続ける、というイメージです。

ウォーホルやロイ・リキスタインの作品は、まさに時代を現したアート。

工業デザインとかはどうかな? アートかな、デザイナー分野かな。

 

私はデザインの勉強も絵の勉強もしていましたが、所詮はアーティストたちの足元に散らばるゴミみたいなものでした。(/ω\)

 

 

こんなことを考えながら日々仕事をこなしているワケです。

私みたいな中途半端なヤツは流行が変わればあっという間に仕事がなくなる。

 

ここで消えるか消えないかは運や価値観に左右されますし、「その他大勢」ではない作家は必ず生き残ると思います。

でも絶対生き残れるとは限らない。

ハンドメイド販売というブームが去って、お互いに「負けまい」と必死に殴り合いをしていたハンドメイド作家が倒れ、その屍で大きな山ができた後からが、実は本番なのかなぁ、と思っています。

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ハンドメイドのその先を、また考えている

 

私は「外で働きにくい人」が経済的にある程度自立していくための「ハンドメイド販売」のあり方をずっと考えていて
それはそれはいろんな人にいろんな事情があって「外で働きにくい」状態になっているワケです。

「外で働きにくい人」のなかには、私のような数をこなす販売ができない方も多いと思っています。そして私のように小ずるく商売をできない真面目な方が多い。
そういう方の場合、やはりどうしても大量のハンドメイド作家に埋もれて負けてしまうことになるね。対等にやりあうことが難しいのです。

 

なので、

今のように器用なハンドメイド作家だらけだと困るのよ(/ω\)私も売れないわ

 

うまく表現できないのだけど、

ブームが去って、流行を消費しつくしたハンドメイド作家の商品が売れなくなってきて、初めて「外で働きにくい人」達が思いきり活躍できるんじゃないかな、と。

そのときには
大量に消費され尽くした「オシャレハンドメイド」とは全くちがった「手作りの形」を見ることができるんじゃないかなぁ、と。

もちろんそれは、とてもとても難しいことだとはわかってるんだけど。

(体力や集中力次第では伝統工芸もアリだ)

漠然としすぎててダメだなぁ。

何かいい事例があったらぜひ教えてね。(/ω\)なにしろ私は考えが甘くて浅い。

 

 「外で働きにくい人」たちが、オシャレハンドメイド作家の屍を「ありがとう」と、にこやかに踏んづけて歩いていけるように、今、私は土台を作っておきたいのだよ。

 

あ、私も屍になって踏まれるのだな。

それは本望だ!

 

またね!