ただいま思案中。

ハンドメイド作家がネットをさまよっています。

心だけ置き去りになったまま

 

 

ハンドメイド屋のシアンです。こんにちわ

 

こどもがね、手術します。というか手術の予定がはいった。
彼にとっては2度目の手術になる。

 

私は遺伝性の疾患を抱えている。あらためて疾患というと大げさだな。
男性に出る場合が多いのだが、父から私に、生まれつき遺伝してしまった。
息子にも本当に申し訳ないんだけど遺伝してしまった。
私はほんの少し不自由が残ったので、せめて息子はきちんと手術させなければいけない。
手術したってある程度の不自由は残るし、
いずれ子々孫々遺伝していくのでしょうけれど

不自由があることで記憶ににキズを残さないように
心まで不自由にならないように。

 

前回も思ったが、こどもの手術に親は無力だ。
今後何度手術をくり返すのか、
心の準備はいつまでたってもできないまま。

 

こどもの手術ってのは予定日が突然変わったりする。
手術を予定していた子が、カゼやインフルエンザ・特にミズボウソウなどの流行性疾患にかかったりすると、まず4週間は手術ができないらしい。そうなると手術日を交換したりする。
前回の手術では我が家に手術日の交換について電話がかかってきた。「手術日を1か月ほど繰り上げますがいいですか?」と。

心の準備はいつまでたってもできないけれど、時間だけはあわただしく流れて行ってしまった。ただただ「ごめんね」をくりかえすだけで、心だけ置き去りになったまま手術日を迎えた記憶がある。

 

 

今日もまた、終わってしまうけど

思えばこどもを産んでから、病院をたらい回しにされてしまった。
私は、遺伝だから私と同じ程度なのだろうと勝手に思い込んでいた。
しかし、彼の体の中では私の想像以上にいろんな症状が複雑に絡んでいた。

 

紹介された病院へ行って、また紹介状を書かれて次の病院へ。
医師に暴言を吐かれて病院に不信感を持ったりもした。

 

挙句に、実の母からも「病気じゃないのにあちこちの病院へ連れて行くなんて、どこもおかしくないから大丈夫なのに」と私の気のせいのように言われ、なんともないのに病院へ赤ちゃんを連れ歩くのは虐待じゃないか、みたいなことを言われ責められ続けた。

 

母は私の疾患を今だに認めたくないのだ。


この子には私以上の不自由があるのに、それを治療する医師がいない。私は葛藤を抱えていた。
母は疾患を絶対に認めなかったし、夫は仕事に追われて家にいないし。乳幼児健診で相談した市の相談員は全く役に立たなかった。
あとで判明したことだが、当時、息子の症例は日本では報告されたことのない症例だった。(と、今の担当医は言っている)
しかしそれがわかるまでの間、私は病院好きのおかしな母親だと周囲に思われていた。

葛藤はうつ病となって私の体を泥の中に沈める。
うつ病になったって母親だもの、こどもを守らなきゃいけない。刃物を無力な自分に突き刺してやりたい衝動を抱えながら、雪の中、暗い冬の朝6時に特急を待ち、1歳のこどもを抱いて数時間かけて、最後の望みをかけて東京の帝京大まで通った。

帝京大にはいろんな障害をもつこども達が集まっていた。
皆、自分の体で精いっぱい生きている。

こどもたちを、母親を、笑顔にする仕事をしようと決めた。

 

色々あったけど幸いにも今、息子は近くの大学病院とこども病院に通うことができ、
手術はまだ数か月先の話。

毎日は一見おだやかに過ぎていくのに、
こどもの手術を待つ私の心は、雪の中こどもを抱いて特急を待ち続けたあの日のまま。

今日もまた、終わってしまうけど。